Hanamoyu’s diary

世の中に思うことを本音で柔らかく語ります

右脳人間と左脳人間

仕事をしていると「あの人は理路整然としていて話はわかりやすいが面白くない」、や「あの人は支離滅裂だけど、時々おもいもよらないアイデアを持ってきてくれる」といったまったく異なる評価を得る人たちをみかけます。

 

私は前者を左脳人間、後者を右脳人間と勝手に呼んでいます。結論に常に理由を求めたり、文脈を大事にする左脳人間にとっては支離滅裂にみえる右脳人間の態度がたまらなく我慢できません。一方で右脳人間からしてみれば話が単純で、だれもが思いつくような結論を正々堂々と偉そうにいう左脳人間を内心「残念な人」と思っていたりすることがあります。

 

どちらも一長一短ですが、何か新しいイノベーションを求められる時、そこには必ずコンテクストにとらわれない右脳の人間の存在が必要だと思います。職業でいうとダンサーやアーティスト、デザイナーのような人を楽しませる職業の人はには右脳人間が多いというのが一般論でしょうか。また企画やマーケティングも右脳人間が多いかもしれません。

 

左脳人間のようにロジックを徹底的に全面に出す職業はなかなか人を楽しませるアイデアというのは出てこないかもしれません。ロジックにこだわると誰もが想像しやすありふれた結論が見えてしまうからです。コンサルティングなどはロジックが重視されるばかりに、奇抜なアイデアはだしにくいかもしれません。しかし、話を進めるうえでは整理が上手な左脳人間も必要でしょう。現状を分析して課題を解決していくうえでは原因究明作業は必要であり、そういった作業には必ずコンテクストが必要になります。また、ストーリーを作成するうえでも自然に流れるようにするうえでは左脳人間の特徴は必要であると思います。コンサルティングに期待されるのはやはりストーリー性あふれる理路整然としたサジェスチョンですかね。

 

私は仕事でチームを組むとき、アイデア出しは右脳人間の人と、業務の管理は左脳人間の人と一緒にするのが効率的だと考えています。つまりは適材適所でチームとしてパフォームすることが一番大事ってことでしょうか、、、。

 

今日も、適当につらつら書いてみました。

 

思ったほど自分が評価されないということ

久しぶりの投稿になります。できる限り頻繁に継続してブログを更新したいと思っていましたが、気づけばゴールデンウィークも明けて前回更新から2か月経ちました。

 

今日は自分が思ったほど評価されなかった時の気持ちについて書いてみたいと思います。私は以前オフィスでダントツの営業成績を残したにも関わらず昇進できなかったことがあります。

その時オフィスの長に言われた言葉は「結果にはボーナスで報いて、実力には昇進で報いる」でした。正直自分には実力がないといわれているのかと思いカチンと来たのを覚えています。

でも今考えるとその長の適当な発言は私が改めて「実力」とは何かを考える機会を与えてくれました。私が感じたのは実力とは運にも左右されず結果を出す力ではないかと思います。

当時、結果を残した私はそれは自分の実力もあってのことであという、うぬぼれた部分もありました。ただそれは間違いなく景気やタイミングの「運」もありました。運も実力のうち、という言葉もありますが、本当に実力者といわれている人たちは逆境にも耐え、冷や飯を食わされても腐らず、地道に努力して成果をあげている人が多いと感じます。

私は当時オフィスの長の見る目がない、人を伸ばす能力がないと、人のせいにしていましたが、傍目からみて「運で成果をだしている」と思われた時点で自分の地道な努力を出し切れていなかったのではないかと、反省的にとらえています。

自分が思ったより評価されないということ、それにはいろいろな事情があるとおもいますが、腐らずに自己を客観視する機会ととらえて成長につなげることが、自分を納得させることになると思います。

でもやっぱり本音は「悔しい!!」って感じでしたね。まぁ、人生一度は冷や飯くわされるのも人間の厚みを持つうえで良いかもしれないですね。

イノベーションという言葉が身近になって

「革新的なアイデアが欲しい、、、」と軽く言われます。英語でいうとイノベーションでしょうか。イノベーションなんてそんな簡単に起こせるもんではないだろうと思っている私ですが、まず学んでみるかとイノベーションマネージメントのワークショップを受講したことがあります(そもそもイノベーションは学ぶものなのかどうかも個人的には懐疑的です)

 

ワークショップの講師の先生がおっしゃっていたのは「毎日同じことをするのではなく、たまには違ったことをしてみることでイノベーション創発されます」ということでした。

 

このメッセージの裏には多くのイノベーション事例が既存のものの組み合わせによって発生しており、「自分が知っている事」と「自分が知らなかったこと」を重ねあわせることで新たなアイデアが生まれやすいという思想があるようです。

 

本当にそうなんでしょうか、、、

 

ちなみにものづくりの世界ではよく以下の二つのタイプのイノベーションが議論されます。

①プロセスイノベーション

➁プロダクトイノベーション

 

①については日本のメーカーのお家芸です。私はこういったイノベーションは多くの場合、起業やプロフェッショナル集団の長年の経験、知識にさらに知恵を組み合わせて築かれるものであり、多くの場合「現場」から発生します。こういったイノベーションは新参者がそう簡単に創り出せるものではないと考えています。

 

➁についてはどうでしょうか。商品企画でイメージするとわかりやすいかもしれませんが、現場までいかない企画段階ではどちらかというと奇抜性が求められ、専門的なことを「知らないこと」が固定概念や既成概念といった障害を打破する武器となり、思いもよらないイノベーションが導かれやすかったりするのではとも考えます。

 

実はこの二つのイノベーションは、「革新的」という意味では共通の特徴を有していますが、その創発環境は大きく異なると考えています。また企業も自社のポジショニングを考えたうえで、どちらが強みでどちらが弱みなのか、理解したうえでのイノベーションマネジメントへの取り組みが必要なのだと思います。

 

ちなみにプロフェッショナル(専門家)と呼ばれる人たちは、①の類で成果を出す人が多いと思います。アスリートもそうですが、必ず大事な舞台の前には願掛けなど、普段のルーチンを大事にすることで、どのような環境でも一定の成果を出せるような精神状態を作り出します。彼らのようなプロフェッショナルは「繰り返す」ことで、自身を磨き上げ、他人が到達できない地点を切り開き、圧倒的な強さで結果を出していきます。これは他人から見たら革新にみえるのだと思います。そこに到達した人はあまりいませんからね。

 

一方でアーティスト(芸術家)は➁の類が得意な人が多いのだと思います。同じ作品を大量生産していて、絵を描く技術を磨くことはできても新しい絵を描くことはできないですよね。彼らは1作品1作品を大事にして、それぞれに芸術的な要素を吹き込みます。これは「繰り返す」よりも「違うこと」に取り組むことにより養われる感性でしょうか。

 

話はもどりますが、前段の「いつもと違うことをする」というのは➁の類を創発するのに役立ちますが、①を目指す人にとっては単なる脱線かもしれませんね。限られた時間とリソースの中で「一つに集中するのか」、「取組を多様化するのか」、この相反する概念をどのように自分の人生に取り込んでいくか、非常に考えさせられます。

 

自分の人生でこれからイノベーションと出会えることはあるのだろうか、と思いつつ、以下の本を手にしてみました。こちらは個人の人生の考え方を、企業の戦略を考えるフレームワークと絡めながら「どうあるのがよいか」読者に問いかけています。前段のイノベーション創発の話とはあまり関係ないですが、面白い一冊です。

 

 

イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ

 

 

また、とりとめもない形ですが、今日はこのあたりで、、、

人とのつながり

今結婚式の代理出席、エキストラのバイトを事業として行っている会社があるそうです。

 

結婚は自分が生まれ育った家族から、生んで育てる家族へ進む重要なマイルストーンですよね。結婚で夫婦になる二人が愛を確かめ合うのもありますが、新郎、新婦がそれぞれ生まれ育ってきた環境でつながってきた人たちとの人生の棚卸をするのも、結婚のタイミングだと思います。

 

そう考えるとエキストラがビジネスになるのってなんか寂しいですよね。それであれば、だれでもいいから少しでも人生が重なり合った人たちを招待したほうが、自分が歩んできた道を振り返るという意味では良いのではないでしょうか。

 

エキストラビジネスは男女の出席バランスが悪いとか、どうしても今までの人とのつながりに自信がないという人たちからのニーズがあるのかもしれません。でも、本当に祝いたい人たちが、そういったエキストラの人たちと同じ場所で同じ時間に主役を心から祝いたいと思うでしょうか。

 

私が招待される立場であれば、仮に呼ばれた人数が少なければ、自分は大事にされている人の一人であるということを誇りに思えますし、大勢の中の一人だったとしても、それもまた忘れずに招待してもらえたことをうれしく思います。

 

何より、みんなそれなりに当の主役を心から祝いたいのですから、主役には本当の「人とのつながり」を人生の大事なマイルストーンで振り返ってもらえればと思います。

 

最近周りで結婚される方が増えて、そう感じることが多いので、今日記事にしてみました。

パラレルキャリアという生き方

パラレルキャリアという生き方、皆さんどう思われますか?

 

今、本業の仕事以外にも、趣味や過去の経験で培った自分の魅力的な部分をビジネスにする人たちがいます。一つの会社で、閉じられた世界でのキャリアを追及するだけでなく、まだ何もない平地に自分の知恵で道をつくり前に進む。昔のように起業は人生を賭けたチャレンジではなく、ちょっとした週末作業のレベルでインターネットを使ってはじめられます。

 

そして自分自身で業を営むという経験は本業でのビジネス感覚を養ううえでも、必ず役に立つのではないかと思います。

 

私の友達でエンジニアとして大企業に勤める傍ら、趣味で小遣い程度のお金を稼いでいる人がいます。彼は趣味を通じて本業では培えなかった「ビジネスを生かす」経験を得ることができているといっています。

 

一方で、大変頭脳明晰で、経営コンサルタントをしていた知り合いは「実際の経営の経験が乏しいのに経営のアドバイスをしている」自身の姿に対して違和感を感じていました。経営理論やフレームワークは頭の中にあり、ものごと整理するのは得意な彼でしたが、アイデアを実施にマネタイズし、継続的なビジネスモデルとして成立させる「実業」を経験するために新規事業開発を頻繁に行っている中小企業に転職しました。

 

二人とも「業を営む」ことに関心があったわけですが、その経験を得る方法は異なります。前者はパラレルキャリアという選択、後者はシングルキャリアで転職という選択をとっています。

 

私はどちらの選択も目的を達成するための手段であり、それぞれにプロコン(良い点、悪い点)があると思いますが、多くの人が「起業」に関心を持ちながらも、「現状を捨てる」ことができず、結局チャレンジをする機会を失ったという状況をふまえると、「パラレルキャリア」はある種、従来の「起業」と「安定」のトレードオフを解消するブレークスルーになるのではないかと考えています。

 

大企業では通常「副業」が禁止されていますが、閉ざされた世界でのキャリアを形成する人と、外の世界で別のキャリアも形成している人、どちらがビジネスに必要な創造力、企画力、経営力を養えるかというと、外の世界でも「業を営む」人ではないでしょうか。

 

本に書かれた「人の経験」や、「人が考え出したモデル」を上っ面で語っても、そういった人たちにそれを具現化する実行力があるかというと、「経験」がなければ中々アクションにはつながりにくいのではないでしょうか。またそういった人たちについていきたいと思う人もあまりいないのではないのかなぁ、と思います。

 

何か本業以外にも一つ、セミプロレベルで、ビジネスをする「パラレルキャリア」、今後はもっと日本で受け入れられてもいいのではないかと思います。特に創業を支援していくのであれば、、、、、。

 

 

何をするか、誰とするか、どうやってするか

前回の記事に関連しますが、「成果」に大きく影響を与える因子として「誰と」、「何を」、「どうやって」やるかということが考えられます。

 

働く時間とアウトプット - Hanamoyu’s diary

 みなさんは仕事をする上でどの因子(要素)を大事にされますか?同じプロセスでも「誰と」やるか、「何を」するかによって結果は大きく変わると思います。

私は自分でいうのもなんですが、「チームワーカー」なので「誰と」やるかを大変重視します。意思決定の際にも「誰が」信用できるかを大事にします。

ただこの「誰」一つをとってみてもその中身は複雑です。たとえば、上司と部下の関係を考えると、部下から見て「上司のため(work for boss)」に仕事をするのと「上司と一緒 (work with boss) 」で仕事をするのでは、働きやすさも出るアウトプットも違うでしょう。

私は理想の上司は常に部下が「上司と一緒に(Work with)」の感覚で働けるように計らえる人だと思っています。カリスマ上司がいれば「上司のために(work for)」働きたいという部下もいるかもしれません。ただ、ビジネスをやっている以上究極は「work for customers」、「work for output」、「work for value」が目標であることが多く、上司のために働くことがこれらに必ずしもつながるとは限りません。

そうであれば「一緒にはたらく」感覚で、フラットに付き合うほうが楽じゃないですか?またそちらのほうが自分の「主張」や「尊重」ができますよね。

上司との関係でいろいろ悩むことは誰しもが経験することかと思います。私もまだ色々と考えさせられることがありますが、常に「チーム」であることを意識して「一緒に」成果をだせるよう努力するようにしています。

本当に合わない人と働くと例えそれが1時間でも苦痛の時間ですよね。逆に気の合う仲間は年中24時間一緒にいても楽しく感じます。小さい会社であれば特に「人」は大事な財産であり、「誰」とするかが成果に大きく影響すると思います。

「何」、「誰」、「どうやって」に序列はつきにくいですが、その時々に応じて、自分が大事にするものを基準に決めてみたいと思います。

今日も眠い中つらつらと書いてごめんなさい。

 

 

働く時間とアウトプット

ホワイトカラーエグゼンプションという言葉を最近よく聞くようになりました。知的労働者の残業扱いを見直すものです。高給の職業(専門職や製薬会社の研究職)が対象とのことです。

生産活動に直接関与する直接労働者は働く時間とそのアウトプットがある程度比例するのに対して、知的労働者は必ずしもそうではありません。むしろ働く時間が長いと脳がつかれて創造性も奪われ、精神的に疲弊し、人間関係も悪化、なんていう悪循環に陥りかねません。アウトプットベースで評価されるのであれば、決して長時間労働する必要もなく、仮に残業代が出なくなったとしても、それによってもたらされる時間や心の余裕は更にアウトプットの質を高める種にもなりえます。そういった意味ではホワイトカラーエグゼンプションの根底にある思想にはそれなりの合理性を感じる気もします。

個人的にはアウトプット(成果)を評価する考え方には賛成です。よく「成果を出すためのプロセスは評価すべきか」という点について議論がなされます。この論点については議論する人の思想により解はさまざまだと思います。

このプロセスに大量の時間を投入するかどうか。もしプロセスが評価の対象になるのであれば、成果が出るかわからなくてもプロセスに時間をかけることになると思います。これが評価されないとなるとプロセスよりも結果を求めるようになると思います。

私はこの議論をするときにいつも思い出す言葉があります。「継続は力なり。そして力になるまで継続する」。これはとある一部上場企業の元社長が入社式で新入社員に向けて話した言葉らしいです。私はこのことばを人生で何度か体感することがありました。ある目的に向かって大量の時間とお金を投資し、成果が出るかもわからない、人からも嘲笑される、そんな不安だらけの中で「成果がでるまで継続する」という信念でひたすら努力をしました。結果、時間はかかったものの思った成果を得ることができました。

この成果を得るためのプロセスは大変泥臭く、人にも言えるようなかっこいいものではありませんが、成果につながって初めて評価できるものだと感じることができました。もし成果が出ない状況で途中でやめていたなら、何も評価されることはなかったと思います。

結果、私の意見はやはり成果あってのプロセスで、成果がでればそのプロセスに満足できるということです。残業がでても出なくても、成果を出すために必要であれば資源を投資するのがよいと思います。それも成果がでるまで継続する。仮にプロセスを変えても、それが成果を出すための手段であれば、それもまた評価すべき意思決定だと思います。

目標の達成に大事なこと、それは継続(とそれを可能にするモチベーション、強い意志)でしょうか。

なかなかうまくいかないことが多い世の中で、少し落ち込む時期もあるかと思いますが、「継続」を意識して頑張りたいと思います。