Hanamoyu’s diary

世の中に思うことを本音で柔らかく語ります

働く時間とアウトプット

ホワイトカラーエグゼンプションという言葉を最近よく聞くようになりました。知的労働者の残業扱いを見直すものです。高給の職業(専門職や製薬会社の研究職)が対象とのことです。

生産活動に直接関与する直接労働者は働く時間とそのアウトプットがある程度比例するのに対して、知的労働者は必ずしもそうではありません。むしろ働く時間が長いと脳がつかれて創造性も奪われ、精神的に疲弊し、人間関係も悪化、なんていう悪循環に陥りかねません。アウトプットベースで評価されるのであれば、決して長時間労働する必要もなく、仮に残業代が出なくなったとしても、それによってもたらされる時間や心の余裕は更にアウトプットの質を高める種にもなりえます。そういった意味ではホワイトカラーエグゼンプションの根底にある思想にはそれなりの合理性を感じる気もします。

個人的にはアウトプット(成果)を評価する考え方には賛成です。よく「成果を出すためのプロセスは評価すべきか」という点について議論がなされます。この論点については議論する人の思想により解はさまざまだと思います。

このプロセスに大量の時間を投入するかどうか。もしプロセスが評価の対象になるのであれば、成果が出るかわからなくてもプロセスに時間をかけることになると思います。これが評価されないとなるとプロセスよりも結果を求めるようになると思います。

私はこの議論をするときにいつも思い出す言葉があります。「継続は力なり。そして力になるまで継続する」。これはとある一部上場企業の元社長が入社式で新入社員に向けて話した言葉らしいです。私はこのことばを人生で何度か体感することがありました。ある目的に向かって大量の時間とお金を投資し、成果が出るかもわからない、人からも嘲笑される、そんな不安だらけの中で「成果がでるまで継続する」という信念でひたすら努力をしました。結果、時間はかかったものの思った成果を得ることができました。

この成果を得るためのプロセスは大変泥臭く、人にも言えるようなかっこいいものではありませんが、成果につながって初めて評価できるものだと感じることができました。もし成果が出ない状況で途中でやめていたなら、何も評価されることはなかったと思います。

結果、私の意見はやはり成果あってのプロセスで、成果がでればそのプロセスに満足できるということです。残業がでても出なくても、成果を出すために必要であれば資源を投資するのがよいと思います。それも成果がでるまで継続する。仮にプロセスを変えても、それが成果を出すための手段であれば、それもまた評価すべき意思決定だと思います。

目標の達成に大事なこと、それは継続(とそれを可能にするモチベーション、強い意志)でしょうか。

なかなかうまくいかないことが多い世の中で、少し落ち込む時期もあるかと思いますが、「継続」を意識して頑張りたいと思います。