Hanamoyu’s diary

世の中に思うことを本音で柔らかく語ります

誰が言っているかではなく、何を言っているか、でも誰が言っているか

縦社会に属していると、目上の人の考えに配慮し、内容よりも「誰が言っているか」で判断や行動を正当化する人が多い印象があります

 

僕はそういう組織があまり好きではないです。仕事の本質を追求すると、目上の人が優秀であればその人に言う通りに進めてうまく行くかもしれない。でも、そうでなければ皆がその人に合わせていると至る所で非効率や関係の軋みが出て、歪んだ意思決定が蔓延してしまいます。

 

「誰が言っているか」ではなく、発言の内容を重視した「何を言っているか」で意思決定するのがスマートだしそうするべきだ、、、。そうずっと考えていました。

 

でも最近になって思うのは、社会において人とのコミュニケーションを取るうえでは、相手が「誰であるか」ということを理解しておくことはとても重要だと感じます。相手のことを考えたコミュニケーションは仕事を進めるうえでも重要だからです。

 

ビジネスもいつも最後は人と人との関係できまるところが多いです。そう考えると、「何を言っているか」の判断はしつつも、「誰が言っているか」をケアすることが現実の場面でことをスムーズに運ぶには良いと思います。

心無い一言

こころない一言をいう人がいる。まったく気にしなくていい。相手はそこまで考えずにいっているのだから、真剣に受け止めるだけ自分が損している。

自分だと比較的そうかんがえられるが、自分が大事にしている人が心無い一言をいわれていると、自分が言われるよりも頭にきてしまう。

なんでだろう。ふしぎだ。

成功体験と自己肯定

「日本企業の競争力低下は過去の成功体験に固執した結果、新たな変化に対応できなくなった企業体質にある。」と新進気鋭のベンチャー企業経営者や企業アナリストが言う。

 

考え方は人それぞれですが、私の考えは違います。多くの大企業で大きな成功体験を実感している人はごくわずかではないでしょうか。ほとんどの人が、過去の先人たちの成功結果から生まれた「安定」にすがっているから環境変化に対応できないのではないでしょうか。

私は成功体験は成長に必ず必要だと思います。成功の経験がなければ自分に自信が持てず、挑戦ができないからです。挑戦ができなければ成功も次の成長もありません。

根拠のない自信があれば別ですが、成功体験は次の挑戦につながる大きな自信を生み出す大事な要素です。まずは何より一つ小さな成功体験を得て、その積み重ねが大きな成長、次の成功につながるのだと思います。

「成功は一日で忘れろ」という言葉と一見相反する見解かと思われるかもしれませんが、「成功は一日で忘れろ」のその真意は「成功から得た安定にすがるな。次の成長に目を向けろ」ということだと思います。成功体験そのものを忘れろといっているのではなく、成功した結果にいつまでもすがるなということだと思います。

周囲に何を言われても気にせずに、もっとみんな、自分に自信を持ってほしい。できるから。

 

 

 

自分を救う言葉

僕は不遇に直面すると何時間でも考えてしまう性格です。

 

人によっては「そんなに考え込まないで切り替えたら?」と言われたりもしますが、正直そんな簡単ではありません。

 

そんな時、自分を解放してくれるのが「自分がこんなに考える機会を授けていただいている。xxxxさせていただいている」という不遇を感謝に変える言葉です。

 

悩んだら、「こんな成長の機会は人生でもなかなかない。これ乗り越えたらすごいなぁ」という言葉をつぶやいたりします。

 

「なぁんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、試してみてもらえたらと思います。

 

負の力と戦わない

君たちはどう生きるか」。

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 今更ながら読んでみました。自分の中での正義が目の前の負の力に屈する日。誰もが一度は人生の中で経験するのではないでしょうか。

 

どうしても理屈が理解できないけれど、あえて言われる通りにしないといけないとき、私も一度ある人から相談を受けたことがあります。

 

相談者のAさんは、大手企業の中間管理職。仕事が大好きで、部下への配慮もできるし、上司の期待も常に考えている組織にとっては非常に助かる人材です。

 

しかし、彼はいつも自分の上司(部長)が「本部長がxxと言っているから、従ってほしい」という指示の出し方をすることに疑問を抱いていました。

 

Aさんは「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」で物事を合理的に判断したい性格です。ただし、多くの大手企業では、Aさんの上司のように上の人間が言っていることを愚直に実行することで昇進をしていく人が多くいます。結果、自分では考えられない人、力を使って不合理かつ不条理な仕事の進め方をする人が量産されます。そういった人は、自分の指示で失敗しても部下に説明責任を押し付けるといった負の力が働いてしまいます。

 

Aさんはその上司のもとで働き続けることを次第に苦痛に感じるようになり、結局転職という道を選びました。Aさんが選んだ転職先は外資系の大手企業。その企業では一人ひとりに大きな裁量が与えられており、少ない人数で大きな仕事を回します。責任は重いですが、仕事の自由度が高い環境では判断が求められる機会も多くなり、同時に結果も求められやりがいは十分です。

 

以前は「上司がこういっているので」といった仕事の進め方で考える機会、成長する機会を随分失っていたわけですが、今は新しい環境でビジネスマンとして大きな成長を感じているといっています。

 

Aさんは本当に悩んでましたが、実は環境を自分で変えれば簡単に解決することでもあったのです。一人で悩まず、まともな世界に自分が行くことです。類は友を呼ぶ。自分が求めて動き続ければ、意外と簡単に求める環境に近づけるはずです。

 

 

ゆくみちくるみち

世代で人を分類するのはナンセンスである。

年齢違えど過ごしているのは「今」である

立場違えど求めるものは「幸せ」である

価値観違えど生まれたのは「地球」はである

それでも、組織は常に、十分に「多様」である

同様であって多様であるし、多様であって同様である

 

人それぞれ、異なる道を選んでも、陸と海がつながる世界なら、いつかは道は交わりし

交わらずとも同じ空につつまれて、一つの地形をつくるだろう

 

ゆく道も来る道も、人が通りしと常に思ふて道を選び、人と接す

プリンシプル

何事に取り組むにも「プリンシプル(原理原則)」を大事にしたい。

しかし、プリンシプルは人々の思想や生きた背景で異なるのが常である。

社会で生きていくなかで、プリンシプルを持たずして、人に合わせて生きていくことは多くの人が経験したところだろう。

最終的に上位者(強者)のプリンシプルが下位者(弱者)のプリンシプルに対して優位になるかもしれない。

そこで「それでも俺はそう考える」という主張をすることができれば、それはブレがなくカッコいいかもしれない。

だが日本の現実社会でプリンシプルを持たないで育ってきた人々が多くいる環境においては、その主張は「悪」であり決して評価されないのである。

英米のような多様性が尊重され、主調が許される社会においてはむしろプリンシプルを表現することが大事にされる。だからこそ、常に本質を意識した議論が重ねられる。

「上司がこう言ってたからしょうがない。合わせておこう」というのは、日本においては平然と起こりうる話であるが、そのような思想や行動のもとに、自発性や成長が生まれるだろうか。

年齢、経験に関係なく、「プリンシプルを表現しやすい環境」を構築し、人々が互いのプリンシプルを尊重する風土を醸成することが上に立つ者の責任(NOBLESSE OBLIGE)ではないだろうか。

自身のプリンシプルも大事にしていきたい。

 

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

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