Hanamoyu’s diary

世の中に思うことを本音で柔らかく語ります

裏切るよりも裏切られる方がまし

裏切られる可能性を常に肯定して人との関係を築く

信じるからこそ、裏切られた場合の衝撃は大きくなるが、裏切られる可能性を肯定していた場合の衝撃は些細なものだろう

人と人、人とモノ、人と概念の間で常にパワーの不均等が生じるなかで、自分を取り巻く多面的な影響因子に対して、すべて正の反応を起こすのは容易なことではない

皆、全方位360度からかかる力のバランスに応えながらも立ち続けるために、力を入れる方位を限定するはずだ

その際、力を入れない方位はからは「裏切り」と解釈されることもあるのかもしれない

「裏切り」の定義が「期待に応えないこと」であるならば、万人が万物に対していつでも裏切りをせざるを得ない可能性があることを肯定するほうが自然である

自分は裏切るような人間ではないと信じる者もいるはずだ。だが、矛盾があふれる社会において全ての期待にこたえることはできない

また「裏切られる可能性を肯定する」ことは、「他人に対して期待をしないこと」であり、その思想が、事を成すために人に頼らず自身を発展させるトリガーにもなるはずだ

そしてなによりも、「期待しないこと」で、期待が外れた場合を想定したときに行うべき考えや行動についての準備ができる

その準備は自分を守ることになる

深く考えることはない

わかりやすくいえば、割り切りの上で最悪の状況も想定しながら、ことをすすめることだ

大事な人がいるなら、大切にするべきだ

ただ、大切にすることと、大切にしてもらえることは必ずしも併存するわけではなく、そこには期待の差異があって然るべき、という現実を受け止めておくのが肝要だ