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Hanamoyu’s diary

世の中に思うことを本音で柔らかく語ります

生産性のジレンマ

「生産性」は「少ないインプットで大きなアウトプットを出すこと」と定義されることがある。しかし、そこで考えてほしい。「生産性」の値を最大化することが目的になると、人生においてはそれが必ずしも喜ばしい結果につながることではないということを。

生産性を求める式の分子に「アウトプットの量」を置いてしまうと、生産性の尺度から「アウトプットの質」が無視されるリスクがある。しかし、「アウトプットの量」ではなく、「質」を明らかにしていくことが、人生におけるどのような取り組みにおいても、本当は必要とされているのではないだろうか。

そして、「質」を高めていく過程においては、往々にして「量」が求められてくるというジレンマがある。「量質転換」という量が、あるK点を超えて質に転換するという原理を信望するのであれば、量で定義される「生産性の値」よりも「アウトプットの質」を求める人生を送ることを、個人としては肯定したい。

生産性を追求する組織はリーンな体質かもしれない。もちろん無駄をなくすことに越したことはないが、生産性を追求することにより、多少なりとも質の追求が犠牲にされるのであれば、それは最終的に満足するものではないかもしれない。イノベーションを実現する組織も「質」を生むための相当のインプットをしているはずだ。そう考えると、「生産性」が注目されているその背景は、結局のところ求めていないアウトプットに対してインプットをしている人が多いということではないのだろうか。

求めていないアウトプットに対するインプットを徹底的に削減するために、生産性を追求するのであれば、それこそ無意味である。求めていないのであれば、すぐにでもインプット自体を止めてしまえばいい。

求めているアウトプットに対するインプットであれば、量を気にせず求めるものが得られるまでインプットを増やすことは、ある程度の覚悟が必要であると思う。量をこなせば質に変わるはずだ。

「本当に求められていること」、「自分が実現したいこと」といったアウトプットの質に重点を置く人であれば、そのための投資は相当に行う覚悟があるはずだ。

「生産性」を考える際には是非、「質」を意識したい。

 

※ 最近話題の「生産性」に関する本

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

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